愛すべき本たちの備忘録。たまにかたい本も。

様々な書評です。参考にして頂けると幸いです。

『まんがでわかる戦争論』

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歴史の中に争いのない時代があったか?

 

絶対的戦争:攻撃重視、敵を殲滅

現実的戦争:政治や経済の影響を受ける

 

追撃を完遂する事で、相手を屈服させられる

 

戦争が続くと国力がさがる

 

目的があり、目標が設定され、軍事行動に移る

 

ただ戦争を忌避するだけはなく、それを理解し尽くすことが、抑止につながるのかも知れない。

『実践アンガーマネジメント』安藤俊介

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現代において、怒りという感情は、はなはだ邪魔です。

何をするにしても、良いことにはなりません。

そこでアンガーマネジメントというものが出来ました。

怒りの感情と上手く付き合う心理トレーニン

 

怒りを抑えるだけでは本当の解決ではない

 

イライラするときは体を休める

 

食わず嫌いはストレスになる

→まずはやってみる

 

不安を消す

→怒りが減る

 

仲間のために怒る態度は好感度アップ

 

怒らないためのテクニック、と言うような方法です。

たしかに根本の解決にはならないようですが、それでも楽に暮らすには、良いはずです。

『集中講義 旧約聖書』加藤隆

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聖書は前13世紀から後1世紀という、千年以上の期間に作成された様々な文章集。

編纂から完結までも500年かかっている。

 

古代のユダヤ民族のために成立したもの

 

日本人:神は恐れ多い存在。選ぶ事はせずそれぞれの神を認める

一神教:自分たちは神を選べない

それぞれの立場は対極にある

 

聖書は物語。それ自体が掟になっている

 

いきなり矛盾が2つも出てくる

1、植物が先に作られ人が後に作られた

植物が後、人が先に作られた

2、男女が同時に作られた

男性が先、女性が次に作られた

これらに確定的な真実は無い

聖書に書かれている事は全て真実だ、と単純に考えるべきではない、と示されている

 

周辺文明の文学に影響されているところがある

 

神とは(あるようにあるもの) = (自分が動きたいように動くもの)

※ (全知全能)、(恵み深い)は人によるレッテル

 

神から民へ(恵み)、(救い)

民から神へ(崇拝)

神と民、相互の選びが排他的

出エジプトの物語

 

士師:外敵戦うための臨時の将軍。判断する人、裁く人、の意味

 

サムエル:最後の士師で、最初の預言者。サウル王を選ぶ

 

王は常に1人。頭に油を注いで任命する

メシア、クリストスダビデ王朝の王

→キリストを『救世主』とするのはかなり偏った見方

 

王は唯一の神の子

 

カインとアベルの話

神のように振る舞う王を賛美する話、とも読み取れる

 

宗教的迫害:神にしか行えないことを人が勝手に行っていることが問題

悪い者たちを滅ぼすことを神がしていない

→迫害は神の判断ではない

 

宗教は神の権威を背景にした、人集めのための人間的行為

 

人は生まれると罪の状態にある、ということになっている

 

一神教は、民が罪の状態

→民が不幸でも神のせいではない

→神の沈黙が正当化されている

→何があっても民は神を見捨てない

 

神は休む、天地創造の7日目にいきなり休んでいる

 

神は人と契約を結ぶのか?

→もしそうなら、神より契約が上になる

 

人が神を動かせるのか?

 

神の前で何が正しいのかを、人が具体的に知っているのか?

→神の前の義が可能か?社会的な義は可能だが

 

「聞け、イスラエルよ。あなたは心を尽くして、あなたの神を愛しなさい」

愛は命じられるものか?

愛の要求というよりは、人の全身全霊の社会的拘束を求めている

 

神との関係の変化は、神の態度の自律的な変化により生じる

因果応報の考えでは、まだ浅い

 

将来は良くなるという希望が述べられている

 

天地創造から出エジプト以来、神はほぼ何もしていない

 

聖書は一字一句変更不可

これを正典(カノン)という

 

人の頭には言葉で表せない物も去来している

 

人が変化しても罪の状態にあるのは不変

 

律法を完璧に尊守するのは不可能

 

法主義:人が罪の状態にいて、神が動かないことが前提。常識的な律法を身につけて社会でそつなく暮らす

 

人生や人を肯定して素晴らしい価値がある、というイデオロギー

→つまらないものはつまらない、虚しいものは虚しいと言って良いのではないか

 

神殿では、神は民と繋がっている

 

プロゼリット:ユダヤ教に改宗した者

 

シナゴーグ:集会所。安息日である土曜日に聖書朗読会を行う。この活動があるから、ユダヤ人のまとまりが存続している

 

ペルシア政府に書類を提出するときに、ユダヤの神から全人類の神になった

 

神の立場に立って考えることは、困難

 

聖書は相反する物も含めて様々な立場が主張されている

 

神がこの世を作った。

この世は悪で、必ず滅ぼされる

新しい世が創造され、それは善

 

人が努力により救われると考えるのは、神に命令するようなこと

 

ユダヤ教:律法主

キリスト教:律法の権威を退けている。聖書の断片を格言のように利用している

 

聖書は全体での主張を尊重するのが本来の姿

 

日本でいう旧約聖書

新訳聖書に比べて非常に難解です。

物語として楽しめる部分も多いのですけど。

重層的で多面的で不条理ともとれます。

自分ではどうにも出来ないことがある、というのは仏教の主張とも通じるようで興味深かったです。

当時のある種のユダヤ教徒がイエスを受け入れられなかったのか、朧げながら掴めたような気がします。

 

 

『教科書名短篇 人間の情景』

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小学校だったか中学校だったか高校だったかで、何となく読んだような記憶がある、短編集です。

しかし、読みようによってはとても難解です。本当に全ての人に理解出来るのかなあ?

そんな心配が浮かびました。

おそらく当時の自分は、違う読み方をしていたので。

いや、でも全ての本は、もっと言うと全ての出来事は、人によって受け取り方は千差万別なのかも知れません。

そうすると、難解なものを読むのはとても意義深いはずです。

試験は受けるのも採点するのも、大変になるでしょうけど。

 

『寂聴あおぞら説法』瀬戸内寂聴

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作家であり僧侶でもある、瀬戸内寂聴氏の著書です。

自らのお寺で行っている、説法のイベントを文字に起こしたものです。

その日集まった人たちの中から1人が悩みを相談して、氏がそれに答える形の説法をする、という方法です。

自身が不倫や夫と子どもを捨てて家を出たりと、波瀾万丈な人生を歩んで来ています。

そして仏教に帰依した、と。

そんな人物なので、現実的なお話のようでもあり、宗教者の言葉のようでもあり、作家のお話の気もして…。

面白くて為になり、このイベントにぜひとも参加してみたくなりました。