三代将軍家光の時代に、大名は一万石以上、と定義されました。
それ以下は旗本です。
幕府の方針で、石高によって服装や屋敷の大きさや参勤交代の人数なども決まっていました。
多くの使わなければならないお金を決めて、蓄えられないようにして、幕府に抵抗する力を持てないようにしていたわけです。
この点では百姓と同じで、生かさず殺さず、という方針とも見ることが出来ます。
ところが、例外的に五千石で大名とされた藩がありました。
しかも藩主は、御所さま、と高貴な呼ばれ方をしていました。
それは栃木にある、喜連川家です。
大名で、しかもそのような称号で呼ばれて、よいことはあります。
しかし、石高が少ないということは、収入が少ないということです。それなのに、大名としての支出がある。
そのため、ある部分では他の藩よりも、家計は火の車になりかねません。
そこを様々な方法で倹約しました。しかも、領民には飢饉のときに厚い手助けをしたり、かなりの善政を敷きます。
学ぶところがとても多いです。
節約すべきところと、使うべきところを知っているのでしょう。
お金のコントロールを知るのに、とても良い本です。