維摩と言う在家仏教信者が教えを説く物語、というかお経を解説したものです。
異色のお話とも言われています。
自我(わがまま)を捨てる
自分の都合で物事を見ないようにする=知恵
・こうでなければならない、口であるべき
・親ならこうしたくれた当たり前
・友達なら気を遣って欲しい
出家したほうが楽→在家の方が修行になる
大乗は釈迦の教えではないが、開発的仏教である
すべての執着を捨てよ
必要がなくなれば仏教も捨てよ
菩薩:仏道を歩むもの。出家在家は関係ない
すべてのものは常に変化している。小さなものの集合体である
→自分と言う実態はない
人々は老、病、死を避けられない
→ちゃんと苦しみと向き合い引き受ける
法(ありのまま):すべては関係性で成立、すべての存在は集合体
→こうすべき、こうありたいと言う、執着、思いを捨てた状態
空:すべてのものに実態はない
だから何にも執着しない→苦労を滅する
空=無分別:認識する側とされる側の境界がなくなった状態
乞食は与える側のものでもある。関係性で成立しているためである
自分の都合ではなく、相手を観察して話す
悟りを求める気持ちがあれば、在家も出家も同じ
智慧:客観的に物事の本質を見る
慈悲:他者に対しても我が子に寄り添うように接する
2者択一、二項対立を壊そう
泥があるからこそ蓮は咲く
縁起の実践:様々なコミュニティーにつながる
空の実践:それにしがみつかず、縁があれば関わり、なければ離れる
不二の法門=平等な世界:生と死は薪と灰の関係。状態が変化しているだけで、もとは同じもの。
釈迦の高名な弟子たちを、維摩というお爺さんがやり込めて行く、という爽快なストーリーでもあります。
そして、結局は釈迦と同じことを言っている、という。
楽しめてためになる、とても素晴らしいお経のようです。