禅定は智慧を導くが、これを目標とはしない
禅は仏教の枠内にあり、仏教への盲従ではない
他人の言葉ではなく、自分自身から出てこなければならない
禅は知恵と慈悲で出来ている
ブッダは生死、存在、などからの自由を願った
実在の意味、自分とは何か、人生の意義は、人はどこから来たのか、これらすべては同じところから出てきている
問いは問うものから出てくる
両者が一体となるときに解決がつく
知性も、自己を消しても解決はない
自ら問い自体になる。知性、全存在を問いに注ぎ込む
一つの未分の「不知なるもの」にとけいる
問いそのものになる。問いは消え去り、全てが新しい意味を持つ
「全てに勝ち、征服したもの」は負けない
全ての対立を超えられる
禅は自己の存在を見抜くすべ。束縛から自由に
苦しめば苦しむほど人格が深まる
月を指すには指が必要。だが指を月だと見誤ってはいけない
禅は我々と事実の間に介在する物を嫌う
心が熟さねばその言葉は得られない
名前があるものは全て、それにより自己を限定する
仏教は機械的ではなく、生物学的に理解すべき
知性には怒りや憎しみを除く力がない
我々の全ては、人間社会における一切に対して責任がある
(はじめに言葉があった) (言葉は神だった)
(ロゴス)この存在が真の自己、絶対的永遠者
神が(ヒカリアレ)と言って光が現れたのを見ていた、私が存在する
宗教家であり哲学者であり識者である著者。
その辺りも全て根っこは繋がっているのでしょうね。