愛すべき本たちの備忘録。たまにかたい本も。

様々な書評です。参考にして頂けると幸いです。

『禅』鈴木大拙 訳工藤澄子

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禅定は智慧を導くが、これを目標とはしない

 

禅は仏教の枠内にあり、仏教への盲従ではない

 

他人の言葉ではなく、自分自身から出てこなければならない

 

禅は知恵と慈悲で出来ている

 

ブッダは生死、存在、などからの自由を願った

 

実在の意味、自分とは何か、人生の意義は、人はどこから来たのか、これらすべては同じところから出てきている

 

問いは問うものから出てくる

両者が一体となるときに解決がつく

 

知性も、自己を消しても解決はない

 

自ら問い自体になる。知性、全存在を問いに注ぎ込む

一つの未分の「不知なるもの」にとけいる

問いそのものになる。問いは消え去り、全てが新しい意味を持つ

 

「全てに勝ち、征服したもの」は負けない

全ての対立を超えられる

 

禅は自己の存在を見抜くすべ。束縛から自由に

 

苦しめば苦しむほど人格が深まる

 

月を指すには指が必要。だが指を月だと見誤ってはいけない

禅は我々と事実の間に介在する物を嫌う

 

心が熟さねばその言葉は得られない

 

名前があるものは全て、それにより自己を限定する

 

仏教は機械的ではなく、生物学的に理解すべき

 

知性には怒りや憎しみを除く力がない

 

我々の全ては、人間社会における一切に対して責任がある

 

(はじめに言葉があった) (言葉は神だった)

(ロゴス)この存在が真の自己、絶対的永遠者

 

神が(ヒカリアレ)と言って光が現れたのを見ていた、私が存在する

 

宗教家であり哲学者であり識者である著者。

その辺りも全て根っこは繋がっているのでしょうね。