死刑という刑罰があります。
犯罪をした人物を殺すという、最も重い罰です。
現在の日本では絞首刑という方法で、これが存在しています。
むかしの各国では、火炙り、斬首、石打ち、磔刑など、さらに程度が分けられていたりもしました。
本書では、死刑になる事件や裁判やその遺族様子まで、広く取材して記述しています。
多くの遺族感情としては、死刑を望みます。
被告の態度や裁判を重ねるうちの地裁や高裁の判決に心を乱され、まさに地獄にいるような苦しみを受ける場合があります。
しかし念願叶ってそれが執行されたと知らされても、幸福感に包まれるわけではありません。
結局被害者は戻って来ないのです。
被告は度々「生きて償いをしたい」と言います。
しかし本当にそう思っているのか疑問な被告もいます。
また、そもそも人を殺した償いは出来るものなのでしょうか?
わたしには想像もつきません。
犯罪の抑止としてなのか。
仇討ちとしてなのか。
悪事を働いた報いとしてなのか。
死刑自体は確かに残酷です。
その前に起きた事件のほとんどは、それよりも残酷です。