詩は解釈が分かれたり、理解できなかったりは、あって当然
(自分にとって)魅力があれば良い
時に書き手の解釈も更新し得る
優しくわかりやすい→ 善
難しくてわかりにくい→悪
これはマスコミによる洗脳
本来は難しい方が楽しくて面白い
まずは詩を肯定してみよう!
否定よりもかなりエネルギーはいるけれども
わからなくても感じれば良い
(わからない)と(わかった)を往復して、内部で詩が育っていく
わからないことにも価値がある
自転車に乗れるようになると(乗れないこと)ができなくなる
日本語は同音異義語が多い、会話では音声を文字に変換する必要がある
→かなり特殊な言語である
名付けられない感情
一人称の詩だとしてもフィクションとして読む
サッカーを見るのも訓練が必要で、詩も同じ
→読む力を鍛えれば誰でも読めるようになる
自分を唯一のものとして振りかざすのは不自由
みんながそう振る舞えば、恐ろしい世界になる
われわれは人間社会で生きるために(人の皮)を被っている。生まれつきではない。本質はとても野蛮なものだ。
詩は(未知の感じ方)を作るきっかけになる
現在の人類に既知の事柄には、まだ限りがある
理解や説明不能の余白はある
詩に接するのは、そのことを知り謙虚になるきっかけになる
詩を好きな人はあまり多くないだろう。
著書をよるその理由の解説は、とても頷けるものだ。
私たちは詩を国語の授業で習うけど、結果何も分からずにいるままだ。
さらに悪いのは、分かったような気になって、終わってしまうことだ。
本書はそれに気づかせてくれるし、詩に関する多くのことを教えてくれる。