愛すべき本たちの備忘録。たまにかたい本も。

様々な書評です。参考にして頂けると幸いです。

『キリスト教の核心をよむ』山本芳久

自分が本当に満たされる場所は足下にあった

 

父すなわち神の徹底的な許しに触れて、息子は気づいた

 

モーセ(あなたの名はなんだと人々に知らせれば良いのか?)

神(わたしはある。私があるであろうように)

 

ユダの連れてきた兵士(ナザレのイエスを探している)

エス(私である)

兵士倒れる

エス(誰を探しているのか)

兵士(ナザレのイエスだ)

エス(私である、といったではないか)

 →イエスは自分が神だと宣言した

 

モーセ(どうして私がヘブライ人をつれてエジプトを脱出しなければならないのですか)

(私はある)= (あなたと共にいる)

 

エスは苦しみや悲しみのない人生にしてくれるわけではない

その中で共にいて見守ってくれる存在

 

エスの復活:十字架にかけられたイエスの生涯は失敗のように見えるが、あれで良かったのだと神に肯定されたしるし

 

自分を(大きい者)のように思っていたのは、間違いだった

 

人生は絶え間のない試練

 

自ら困っている人の所へ行き、奉仕する

 

神は常に新しく先へ向かい、人の固定観念を越えていく

 

人間は苦しむ存在

→辛い人に共感の態度をもつ

→同伴者イエスのあり方とつながる

 

アブラハム、良きサマリア人、放蕩息子、アウグスティヌスローマ皇帝など、全ての人にイエスは寄り添ってきた


ただそばにいる。
あるいは信仰とは、そういうものかも知れない。
自分は1人ではない。
もしくは、自分の中に神が内在しているような。