愛すべき本たちの備忘録。たまにかたい本も。

様々な書評です。参考にして頂けると幸いです。

忘れない男

今週のお題「忘れたいこと」

 

全てを記憶する脳を持つ男がいました。

今まで目にしたこと、耳にしたこと、経験や伝聞の全てを、正確に思い出すことが出来ました。

こんな能力があると、羨ましい、と思う人は居るかも知れません。

試験問題を解く時にいつでも満点を取れそうだとか。

しかし、そうでは有りませんでした。

本能寺の変で暗殺された武将は?

そう聞かれたときに、普通は織田信長と答えて終わりです。

彼の場合はそれだけではありません。

本能寺、織田信長、謀反、明智光秀などに関するあらゆる情報が頭に浮かびます。

羽柴秀吉お市の方織田信雄比叡山延暦寺

蓮如親鸞日蓮武田信玄浅井長政前田利家、奥村助右衛門、末森城。

こうして羅列したものだけでも多いのですが、これはごく一部です。

さらに困ったことに、彼はAIではなく人間です。

そのため、これらの情報に対して一定の感情や感想があるのです。

本能寺の変については信長の驚愕や諦めや潔さに対して、憐憫や哀惜の念を感じます。

伊勢長島のジェノサイドに対しては嫌悪感や強い悲嘆を。

日蓮の激しくも一途な生涯に感動し、安土城の壮大な景観に感嘆します。

これらがほとんど同時に頭に浮かぶのです。

そんな訳で、全く問題を解きすすめることが、スムーズには出来ませんでした。

これは日常生活でも同じです。

朝起きて着替えるのも、冷蔵庫から飲み物を取り出すのも、何もかもあらゆる記憶が奔流となって彼をほとんど襲うといってよいくらいに溢れ出ました。

それは誰かと対話するときも同様です。

彼にとって他人と関わるのは、常に恐怖と苦痛を伴う作業でした。

何もかも忘れて眠りたいといつも思って眠りにつくのですが、様々なことが頭をよぎり、いつもなかなか寝付けませんでした。

彼の夢は『全てを忘れること』でした。