愛すべき本たちの備忘録。たまにかたい本も。

様々な書評です。参考にして頂けると幸いです。

『教養としての俳句』青木亮人

教養とはテクニックでは無く、生き方を深めるもの

教養とは自分を形成、揺るがない自分を確立させる営為

 

日々の悩み、大事だと思っていたことが、きれいに洗い流された。

忘れ難い光景が広がり、心が震える瞬間

俳人は黙って景色を指差す

 

日常の些事に私は生きている。そこしかない。

 

連歌は数人で100ほど巻く。完成に1日かかることもある。

始まりの発句は、仲間への配慮や時候の挨拶も兼ねた

 

手紙を始めも時候の挨拶

 

この発句が俳句となった

 

連歌は和歌の美意識から「大和言葉」がよしとされていた。

 

個人の体験やささやかな実感を季語とともに詠めば詩になる

 

余命数年の正岡子規

絶望し、俳句会を革新しようと評論や句を発表し始めた。

 

花鳥風月は、苦痛な人間生活の上に、初めて有意義に存在している

 

我々の生活は平凡で、輝かしい非日常になるとも思われない

→それを丹念に観察しつつ、わずかな面白み、四季、極楽を見出そう

 

個人のささやかな情感を大切に読むのが連歌から俳句

嬉しい、悲しい、嫌だな

面白さ、楽しさ、美味しい食べ物

美しい草花や自然

 

季語:日常感じている季節感を明確に認識し、その季節にしかない情緒を豊かに膨らませるもの

 

風にも1ヵ月ごとの季語がある

→風の変化に気づきやすい

 

季節は「匂い」や「音」として五感訴える

 

季語とお茶は近い

 

日常を丁寧に暮らす

 

俳句は毎日の普通を肯定している。

 

なんでも粗末にせず、はっきり見定めれば、美しい姿がある。

 

「この」が素晴らしい「どこか」になり得る。

 

今を味わい慈しむ

 

全てはうつろう

 

俳句を詠む時くらいは草花の風情に見惚れ、四季の情緒に浸って現生の憂さを忘れよう

 

人の喜怒哀楽に触れずとも、そこはかとなく漂うこともある

 

ちるさくら 海あをければ 海へちる

 

にせものと きまりし壺の 夜長かな

 

「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇である」

チャップリン

 

卒業の 空のうつれる ピアノかな