愛すべき本たちの備忘録。たまにかたい本も。

様々な書評です。参考にして頂けると幸いです。

『桃尻語訳 枕草子』橋本治

春と言えばガチで曙だわ。

みたいな?

古文が読みにくいのは、現代語と異なるから。

外国語を読むのとそんなに違わないのですよね。

だからそれをそのままに読めるように言語力をつけるか、訳を読むか、二つに一つ。

本書はフランクに訳したもの。

ただし、あまり意訳ではなく、直訳に近いように感じる。

それでもやはり自分のわかる言語になると、それぞれの人や風景がわかる。

生き生きと動き出す。

当時で裕福な人たちの暮らしぶり。

女性と男性のやり取り。

そしてある意味恐ろしい、女性同士のやり取り。

こんなエッセイあるよな、と思ったが、それも当たり前か、と気づいた。

時代は違えど人間、さらに言うと日本人なんですよね。

『チャーリーとの旅』ジョン・スタインベック

旅はいいな、と思う。

自分ではいけないから尚更だ。

一人旅なんて、家族がいたら行けない人が大半ではないだろうか。

そこまで行きたいわけでは無いけど。

それでも憧れる気持ちはある。

そして、昔の海外の旅行記と来たら、もうそれを追体験することは決して叶わない。

そうすると、それは益々輝いて見える。

しかし、馬鹿なことをするものだ、と思える人はいるものですね。

それが楽しいのでしょうけど。

やはり自分には出来ないように思えて、何とも眩しいのです。

『聖書』

イエスの言行を見ていくと、実に多くのことを聖書から引いていることがわかる。

言行録は新約聖書で、引いているのは旧約聖書から、である。

ある程度聖書を知っていないと、その辺りのことはわからないだろう。

イエスはきっと、敬虔なユダヤ教徒であろうとしたのだろうな、と思う。

人によっては、それが異端に見えたか。

いや、そう見る人は破戒僧のようなものだったか。

人格は素晴らしいのは間違いないが、荒削りにも見える。

などというとバチが当たりそうだが。

キリスト教の愛と仏教の愛は、全く別物だということもよくわかる。

日常で使う愛も、また違う。

やはりこれを知らなければ、キリスト圏の人と本当の意味で分かり合えることはないのではないか?

そんな気がする。

『くもをさがす』西加奈子

がんになった。

そう、人はがんになる。

それは自分かも知れないし、親しい人かも知れない。

今まではあまり近しい人は、なっていなかっただけだ。

また、風邪をひいたり怪我をしたりは自分にもあったが、大病をしてこなかっただけた。

いずれ来るのだろう。

生きて老いてきた。

小さいながらも病を得てきた。

私たちはみんな、いつか病んで死ぬ。

そのことを、再認識させてくれた。

『後世への最大遺物』内村鑑三

一人ひとりの生き方。

働きにより生み出した成果。

周りの人や他者に与えた恩恵。

それらが、遺産になる。

人は死して名を残すというが、名が残る何かを成し遂げた、ということだろう。

その何かが他者へ、それも直接の相手だけでなく、その先の相手のためにもなる。

それは時間も超越していく。

『晩菊』林芙美子

若い頃に男女の仲になった二人。

それが時を経て再開する。

男は他の女性と結婚すると言い、女に借金を申し出る。

女はもはや老女と思える齢になっている。

楽しそうな会話だが、貸す貸さないお金のやり取りは、紛れもなく戦いである。

お金は恐ろしいと言うべきか、男女は恐ろしいと言うべきか。

はたまた人は恐ろしいと言うべきか。

『硝子戸の中』夏目漱石

優しい人だったんだろうな。

夏目漱石のエッセイには、随所からそういうふうに読み取れる。

昔幼かったころに、母から不安を取り去ってもらったこと。

珍しく1人で家に訪ねてくる女性を、穏やかに励ます会話。

動物に対するフラットな目線。

きっと真っ直ぐに物事を見つめていたのだろう。