愛すべき本たちの備忘録。たまにかたい本も。

様々な書評です。参考にして頂けると幸いです。

『アラビアン・ナイト』

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千夜一夜物語としても知られる、古典的な名著です。

最初にUKの訳者による解説があります。

アラビアのお話はとても面白くて素晴らしい。

それらに並ぶUKのお話は『巨人殺しのジャック』と『トム・ティット・トット』くらいだろう、と述べています。

 

シンドバッドの冒険

アラジンと魔法のランプ

その他にも多くのお話があります。

何せ千夜の物語、たくさんあるはずです。

 

子どもの頃にも読んでいたはずではあります。

それでもバグダードという地名が出てきていたなんて、当時は気づきませんでした。

また、冒険で得た財産の十分の一を、施しにあてていたことも。

 

 

『怖い間取り2』松原タニシ

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事故物件という、殺人事件や孤独死があった物件に住むことを生業(?)とする、芸人さんです。

 

数々の怪奇な事件が起きます。

ラップ現象は当然あるよね、という感じです。

人形の髪も伸びるし、動画には変なものが映り込みます。

 

前作でもそうなのですが、著者のグイグイいく姿勢は本当に凄いです。

そしてもう少ししたら全てを失うと予言されているのですよね。

死ぬのかな?と示唆させるところが怖いのですけど。

『ALSを生きる』

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ALSとは、持続的に全身の筋肉が萎縮してしまう難病です。

現時点では有効な治療がない、とても厄介なものです。

著者はその病気を発症してしまいます。

大学で教鞭をとり、テレビなどのメディアで活躍し、自身が興味のある分野の研究を思う存分にして、とても順風満帆な人生でした。

そこからするとかなりの絶望が予想されるのですが、著者は挫けません。

 

チャンピオンケースとも言えるほど、本疾患では良好な経過を辿っているように見えます。

だから絶望しないで済んでいるという側面は、おそらくあるのでしょう。

それでも、難病は難病。

著者のように過ごせると、とても素晴らしいですが、なかなかそうもいかないケースは多いようにも思えます。

 

全ての人にではありませんが、あるいはある種の希望を貰える著書かも知れません。

星の上の方

今週のお題「住みたい場所」

 

年を重ねると体が痛んだり、重く感じたりするようです。

宇宙について書いた本で、そのような老人にオススメの暮らし方が提案されていました。

重力の弱い所で住むという方法です。

月だと地球の六分の一。

体が軽いので負担は少なくて済みます。

地球でもかなりの上空に行くと、重力の影響が減ります。

どこかの星でどこかの高さに、体が軽過ぎず重過ぎず動きやすい、という丁度良いところがあるはずです。

 

老後はそこで決まり!

『三谷崖っぷち日記』大山史郎

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大阪の西成地区。

東京の山谷地区。

素泊まりの簡易宿泊施設(通称ドヤ)が立ち並ぶ、ドヤ街です。

著者はこれらの場所で日雇い労働者として生活してきた人格です。

 

一部屋にベッド込みの狭いスペースがいくつか。

これがドヤです。

隣人と、しきりを隔てて80cmの距離にいます。

舌打ちや独り言や臭いによるストレスを、かなりダイレクトに受ける生活で、とても快適と呼べる代物ではありません。

それでもその生活を選んだのは、著者が自身を人生に向いていないと判断したためです。

一般的な社会人の生活を送るよりは、ドヤでの生活の方がまし、なのです。

 

酒、ギャンブルをせず、風俗に行き図書館の本を読み漁る著者は、三谷ではかなり異質な存在です。

そんな著者がいたから、本書が生まれてわたしたちのような読書が、三谷の生活を知ることができたのでしょう。

紛れもなく本書は貴重です。

『死刑 究極の罰の真実』

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死刑という刑罰があります。

犯罪をした人物を殺すという、最も重い罰です。

現在の日本では絞首刑という方法で、これが存在しています。

むかしの各国では、火炙り、斬首、石打ち、磔刑など、さらに程度が分けられていたりもしました。

本書では、死刑になる事件や裁判やその遺族様子まで、広く取材して記述しています。

多くの遺族感情としては、死刑を望みます。

被告の態度や裁判を重ねるうちの地裁や高裁の判決に心を乱され、まさに地獄にいるような苦しみを受ける場合があります。

しかし念願叶ってそれが執行されたと知らされても、幸福感に包まれるわけではありません。

結局被害者は戻って来ないのです。

被告は度々「生きて償いをしたい」と言います。

しかし本当にそう思っているのか疑問な被告もいます。

また、そもそも人を殺した償いは出来るものなのでしょうか?

わたしには想像もつきません。

 

犯罪の抑止としてなのか。

仇討ちとしてなのか。

悪事を働いた報いとしてなのか。

 

死刑自体は確かに残酷です。

 

その前に起きた事件のほとんどは、それよりも残酷です。