愛すべき本たちの備忘録。たまにかたい本も。

様々な書評です。参考にして頂けると幸いです。

『人はなぜ「死ぬのが怖い」のか』前野隆司

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「いかに生きるか」「なぜ生きるか」

=「いかに死ぬか」「なぜ死ぬか」

 

科学的とは正しい見方と言う意味ではない

系統的な「確からしさ」を増すもの、帰納法

 

過去の「エピソード記憶」ができるのは、鳥類と一部哺乳類だけ

 

神道信者もしくは仏教信者

多くの日本人はイエスオアノーで単純には答えられない

 

人はたまたま生まれ、生き、死ぬ。意味も価値もない

 

死について受け入れ、覚悟し、取り乱さず、凛として死ぬ

 

クオリアがあるのが人間とロボットの差

感覚的クオリア=楽受、中間、苦受

志向クオリア

 

クオリア=幻想=逃げ水

脳が作った幻想に過ぎない

あるように感じられるが本当はない

 

人が数種類あるボタンから1つを選んで押すと言う実験

0.35から7秒前に脳が無意識下で活動している

つまり「自由な意思決定」は脳が無意識下で決めたこと

 

神経科学、心理学、心の哲学の一部では既に常識となっていること

「心は幻想である(脳が作り出したもの)」

 

ぱっと見た秒針が1秒以上止まって見える

実際に脳が未来の静止画を置き換えている

 

人の脳はぱっと見て「青い服の人」と判断するのに0.5秒かかる

やはりこれも受を捏造している

 

無意識下で行っていることがほとんど

歩く、着る、いつものルーチンワーク

心(意識)がやっているわけではない

 

誰かに放り投げられた石がもし意識を持っていたとしたら、その意思は自らの力で飛んでいると錯覚するはずである

→人がまさにその状態

 

心は幻想だから何でも気楽に考えれば良い

 

人生には意味なんてない、自由に軽くのびのびと生きよう

 

死ぬ瞬間に意識はない →主観的には死はない

 

自分、生命体は世界を感じるシステム

そのシステムは生命体の数だけある

自分は世界で世界は自分

 

1つの生命体の喪失は世界にとっては髪や爪を切るようなもの

 

幸福を感じることが多いとされる項目

健康だと感じている

年収7,500,000円以上

直近の目的と将来の目的が整合している

いろいろな人との多様なつながりがある

宗教を信じている

治安が良い

他人に親切

スポーツをしている

芸術活動をしている

 

欲に対して能動的ではなく受動的であるのなら、無欲、無我

 

いつでも切腹できる覚悟

欲、自我、生死を超越する

 

悟り=深いリラックス

→自分で悟りだと思えば良い

 

仏教は哲学、生きているのが無で幻想だと体で理解することを目指す

 

人は今しかない、死後は幻想

 

森山や自然に溶ける

→死ぬのは怖くないと心身で感じる

 

感謝

 

生まれてきた意味や生きる意味なんて、無い。

そう言ってしまえば、色々と考えるのに不都合に思うかも知らない。

でもそれは確かに事実だろう。

大切なはずの心も脳が作る幻想だとしたら、大切なものなど何もないことになりはしないか?

結局のところ自分で考えて良いと思われることをしていくしかない。

というか、みんなそうしているはずなのだ。

脳が決めたことに従って。

脳の支配を免れないのだから、何でもして良いのだろう。脳の命じるままに。

出来るのは脳を鍛えることか?

それが心を鍛えるのと同じことなのだろう。

そして自分で正しいと思える判断の基準を真理に近づけていくことも、とても大切なはずだ。