「ただいま!」
玄関のドアから入ってそう声をかけたら、そこには妻の遺骸が。
でも大丈夫、死んだふりです。
でも、それが度重なると?
著者の妻はいつも死んだふりで旦那の帰りを迎え(?)ます。
最初は当然びっくりしますが、いずれ慣れます。しかしそれを上回る努力をする妻。
毎日家に帰るのが楽しみでしょうか?
それとも機嫌の悪い日は鬱陶しい?
まあ、言ってみればただのノロケなんですけどね。
面白くて微笑ましいです。
「ただいま!」
玄関のドアから入ってそう声をかけたら、そこには妻の遺骸が。
でも大丈夫、死んだふりです。
でも、それが度重なると?
著者の妻はいつも死んだふりで旦那の帰りを迎え(?)ます。
最初は当然びっくりしますが、いずれ慣れます。しかしそれを上回る努力をする妻。
毎日家に帰るのが楽しみでしょうか?
それとも機嫌の悪い日は鬱陶しい?
まあ、言ってみればただのノロケなんですけどね。
面白くて微笑ましいです。
過去の人々の失敗に基づく経験知がある
民主主義と立憲主義は、どうしても相反するところがある概念
→でも、死者とともに民主主義を行うのが良い
専門家は間違える
「私」の本質は自ら選んだわけではないものにより成立している
一方的に自分の信じるイデオロギーを掲げるのは良くない
「大衆に迎合しない」
大衆とともにありつつ、自らは孤独であり続ける
自分の居場所を持ち、社会での役割を果たす
大衆:自分が他人と同じことで安心感を得る
→少し変わった人、能力を持った人の芽を摘もうとする
→平等の名のもとに、平均化が行われている
大衆は謙虚ではなく「大衆であること」に万能感をもつ
大衆の正しさの根拠は「数が多い」こと
行き過ぎた専門家は総合的な教養を失う
異なる価値観を認めよう
→「リベラル」の出発
敵と共に生きる、反対者とともに統治する
真理に通じている道筋を行く
過去を無視して生きている人間だけで正しい決定ができると考えるのは、思い上がり
民主主義のリミットを持たなければ、集団的独裁になる
国家よりも「お隣さんの家と仲良く」と言う共同生がまず重要
自分たちの時代は今までより豊かで優れている今までの死者より上の存在である
→多くの人が持ってしまううぬぼれ
平凡なことの方がよほど非凡
平凡を淡々と行える事はすごいこと
背筋を伸ばして全体を見る
自己懐疑
→自分を超えた英知をつかむ
様々な共同体に所属しよう
敵と共に生きる、反対者と共に統治する
付和雷同は単なる逃げである
ありのままに見る
錯覚から「目覚める」
→ 1日にしてできることでは無いから、日々小さなひらめきを積み重ねる
自分も世界も因果法則で起こる、一時的な現象
「あきらめる」=前向きな姿勢
心の自由:すべての束縛から離れて究極の自由に達せられる
肉体の自由:ない
→生きていれば本来は不自由なもの
ファーストライフでもスローライフでもなく「ノーマルライフ」
今と言う1点の時間を生きる
ポジティブではなくプログレッシブ
→進歩
「中道」真ん中ではなく超越の道
Aか Bかの2択ではない
相手の話を聞く、自分の意見を入れずに、そのまま
愛とは欲しいと言う感情
生命は川を流れるボールのようなもの、流れ続けるしかない
「何かをしない」ことも超刺激的
例えば嘘をつかない
引き算をする=「布施」譲る、与える
泣きたい時はなく
夢は少しずつ大きくしていく
完全な予測は不可能
→何かが起きたら早く正しい判断をする
少しずつでも成長すれば良い。
ちょっとでも賢い方が前よりは良い。
何となく応援されているような気になる著書です。
楽ではないのですけどね。
「いかに生きるか」「なぜ生きるか」
=「いかに死ぬか」「なぜ死ぬか」
科学的とは正しい見方と言う意味ではない
過去の「エピソード記憶」ができるのは、鳥類と一部哺乳類だけ
神道信者もしくは仏教信者
多くの日本人はイエスオアノーで単純には答えられない
人はたまたま生まれ、生き、死ぬ。意味も価値もない
死について受け入れ、覚悟し、取り乱さず、凛として死ぬ
クオリアがあるのが人間とロボットの差
感覚的クオリア=楽受、中間、苦受
志向クオリア
クオリア=幻想=逃げ水
脳が作った幻想に過ぎない
あるように感じられるが本当はない
人が数種類あるボタンから1つを選んで押すと言う実験
0.35から7秒前に脳が無意識下で活動している
つまり「自由な意思決定」は脳が無意識下で決めたこと
脳神経科学、心理学、心の哲学の一部では既に常識となっていること
「心は幻想である(脳が作り出したもの)」
ぱっと見た秒針が1秒以上止まって見える
実際に脳が未来の静止画を置き換えている
人の脳はぱっと見て「青い服の人」と判断するのに0.5秒かかる
やはりこれも受を捏造している
無意識下で行っていることがほとんど
歩く、着る、いつものルーチンワーク
心(意識)がやっているわけではない
誰かに放り投げられた石がもし意識を持っていたとしたら、その意思は自らの力で飛んでいると錯覚するはずである
→人がまさにその状態
心は幻想だから何でも気楽に考えれば良い
人生には意味なんてない、自由に軽くのびのびと生きよう
死ぬ瞬間に意識はない →主観的には死はない
自分、生命体は世界を感じるシステム
そのシステムは生命体の数だけある
自分は世界で世界は自分
1つの生命体の喪失は世界にとっては髪や爪を切るようなもの
幸福を感じることが多いとされる項目
健康だと感じている
年収7,500,000円以上
直近の目的と将来の目的が整合している
いろいろな人との多様なつながりがある
宗教を信じている
治安が良い
他人に親切
スポーツをしている
芸術活動をしている
欲に対して能動的ではなく受動的であるのなら、無欲、無我
いつでも切腹できる覚悟
欲、自我、生死を超越する
悟り=深いリラックス
→自分で悟りだと思えば良い
仏教は哲学、生きているのが無で幻想だと体で理解することを目指す
人は今しかない、死後は幻想
森山や自然に溶ける
→死ぬのは怖くないと心身で感じる
感謝
生まれてきた意味や生きる意味なんて、無い。
そう言ってしまえば、色々と考えるのに不都合に思うかも知らない。
でもそれは確かに事実だろう。
大切なはずの心も脳が作る幻想だとしたら、大切なものなど何もないことになりはしないか?
結局のところ自分で考えて良いと思われることをしていくしかない。
というか、みんなそうしているはずなのだ。
脳が決めたことに従って。
脳の支配を免れないのだから、何でもして良いのだろう。脳の命じるままに。
出来るのは脳を鍛えることか?
それが心を鍛えるのと同じことなのだろう。
そして自分で正しいと思える判断の基準を真理に近づけていくことも、とても大切なはずだ。
英語を身につけるための本です。
話せる、とか書ける、というよりも読めるようになるために書かれています。
最初に、訳すのではなくそのまま読んでみよう、とあります。
ある程度英語を学んだことのある人なら、意味はわかるように書いてあるので、なんか楽しいです。
ショートストーリー集なところも親切心を感じます。
エッセイです。
著者は若くから小説家として作品が評価されている、村上龍氏。
恋愛についての女性の状況や悩みなどについて言及しています。
作者自身は強い。
その言葉も強い。
言っていることはどれも頷けるものです。
人によっては厳しいのかも知れませんけど。