『徒然草』
国語で習ったため、誰もが知っている著書です。
気の向くままに書いたエッセイで、著者は兼好法師です。
今で言う早期リタイヤをして、自らの思い定める道の習得を目指した人です。
古典に一般読者が近づくには、好きな部分を適当に読み、一言半句でも心の内に入れば良い。
死のくることの迅速さという認識が『徒然草』全体の基調。
人はいつ死ぬかわからない。全てを放って、すぐ道に入るのが良い。
道とは、できる範囲で世を捨て、頭ではなく心に従うこと。
自然や宇宙や己を感じ、全てを肯定する。
2000年前に、ローマの哲学者セネカも同じ事を言っている。
ある人が法然上人に「眠気に襲われて念仏を怠る事があります。どうしたらよいでしょうか?」と聞いたら、「目が覚めたらまた念仏すればよい」と答えた。
狂人のマネをして通りを走ったら、それは狂人である。
悪人のマネをして悪事を働いたら、それは悪人である。
徒然草は、生死の問題を、人にとって何が最も根元的なことなのかを気づかせる役割を果たしている。
兼好法師は、見方によっては哲学者で、徒然草には哲学的なことがたくさん散りばめられています。
タイトル、著者、出だししか知らないのは、あまりに勿体ない著書です。