シェイクスピアが書いていない演劇論まで既に著している
(珍しきが花) = (イノベーション理論)
ドラッカーと共通点がある
世阿弥たちは乞食として差別される階級だった
稽古に励み芸を大事にすれば、必ず成果はある
さらに自身でも工夫する。言葉で言えないものもある。それも心で心に伝えられる
努力で作られる才能はあるので、正しく努力すれば良い
(君は手で絵を描くのか)
複式夢幻能
物語前半:人物が登場
物語後半:その人物の見る夢が演じられる
花: (新しいこと) (珍しいこと)
→面白いこと
初心はたくさんある
若い時、人生の時々、老後
その時々のあったことを習い、老後の風体に似合うことを習う
若い頃はもてはやされるもの
そこで名人気取りは(浅ましい)
老木に残る花→全てがなくなったところに残る
良い時こそ慢心せず稽古する
年を経たら、後継者の育成
やってはいけないとされてきた事を少し混ぜる
→歳をとった役者のみに許される自由の境地
→下位の能を自由に演じるのが良い
社会も老人が花を咲かせられるシステムを準備できると良い
世阿弥は多くの分野から言葉を借り、なければ自分で作って説明した
→既存の言葉では満足できなかった
→能は(稚児)の存在を認めて、それが中心になっている
どんな身分でもそれぞれが花を身に付けたように演じる
常に手を出す時、歩く時、ブレーキをかけられつつ舞う
自分と言うよりは客のタイミングで出る
声も同じ(時節)を捉えて発生する
周囲の様々なことを引き入れ、関わっていく
武士の世になり、わかりやすい言語を使う(言語革命)が起きた
相手の時は静観、自分の時に出す手を考える
信あれば徳あるべし
秘して隠すからこそ(花)となる
しかし必ずどこかで使う、そうでなければ意味がない
そこでまた新しい(花)を作る
→自己の更新
住するところなきを、まづ花と知るべし
相手から学ぶには、相手に教えるものを持つことが大事
能は対戦形式でもあるのですよね。
読んでいて、五輪書を思い出しました。
一芸に秀でるということは、違う分野でも通じるものがあるのかも知れませんね。