原始仏教は、宗教と考えなければとっかかりやすいはずです。
単純に幸せな気持ちで過ごす方法や、自らをより良いものにしていく方法、と捉えられれば。
怒らない事は生涯をかけて目標とするのに良いテーマである
だらしのない人格には不可能
怒らなければ幸せになれる
(怒り)は知恵と理解で克服するもの
我慢したり押さえつけたりするものではない
感覚は常に苦しみ、ボーダーを超えたら認識
ボーダーは希望(期待)の強さで決まる
世間的な幸福は妄想である
生きる事は苦しみ、苦しみから別の苦しみへ乗り換えている
無常を知る→ 無執着=覚り→ 苦しみがなくなる
生老病死からは逃れられない
→ 世間の幸せから離れて正しく生きてみる
不安、恐怖
→ 怒りの仲間
素直に聞く、相手の良いところを見る
後悔しない(過去はもうない、終わらない妄想)
怒りが出たら見る(無理になくそうとしたらそれも怒り)
体の動きも思考も止める
→それでもダメなら10回深呼吸する
多くの人は究極的に価値があるのは(自分の命)
だと思っている
→ 自我という幻想から、自分が最高
→ 最悪の思考
(私の足が痛い)ではなく、本来は(足が痛い)
自我が錯覚と理解する
→ 人々みんなの苦労に気づける
良い悪いを判断する目安
良い事はしにくい、悪い事は簡単
すべての生命は本気で苦しんでいる
→慈しみで接するのは当たり前のこと
どうでしょう?
これらを全部実践出来たら、素晴らしい人になれそうですよね。
そしてその人は、きっと幸せなはずです。