かなり辛いであろう状態で生きている人を「きっと死にたいだろう」
「死なせてあげても構わない」
という判断基準があるとする。
それは同じような状態で「生きたい」と思う人に圧力にならないだろうか?
自殺幇助
幇助自殺
延命治療の中止
これらの定義や違いは曖昧だと、著者は言う
それはそうだろう
世の中の全ての言葉は、全ての人により定義は多かれ少なかれ異なる
主観が必ず入るからだ
それでも、特にこのような重大な問題を考える場合、言葉の定義をまずは擦り合わせる必要がある
それが出来て初めて、お互いの考えを理解し合えるのだろう
なかなか前途多難な問題だと感じた
まずは当事者同士が納得するしかないのだろう
誰もが見て客観的に納得なんて、恐らくないのだから