中庸の道を説こうとした
当時の新聞小説は音読されていた
哲学は対話により成り立ってきた
会話:親しい人とのおしゃべり
対話:異なる価値観を持つ人同士のすりあわせ
弁証法:A,Bの意見から対話でCを生み出す方法
最初より答えは別物のように深まっている
自由民権運動を率いた板垣退助と後藤象二郎は伯爵(貴族)になった
戦争を体験していない世代の国民国家
戦争がどれほど大変か、実はわかっていない
1960年代社会党が強かった(4割)
日本が社会主義になる可能性はあった
1887年当時も1960年代当時も非武装中立の実現を信じていた
明治以降、武士の多くは凋落して貧乏になった
戦争をしたいと思っていた
どれほど意見が対立していても、同じテーブルにつき続ける
冗長率:えーと、などの言葉がどれくらい入っているか率
対話にはクッションや合いの手が重要
国ごとに異なる歴史や風土がある
暴力革命では何も解決しない
徐々に変えるしか無い
恐怖は事実では無く想像からくる
日清戦争はメディアが引き起こした
対話には精神的な余裕が必要
税金の役目は二つ
所得の再配分
長期的な投資 教育、文化、芸術
対話は種、夕べに種を蒔き明日に手を休めるな
余命五〜六ヶ月と考えていたので、一年半と聞いたら得した気分に
無:西洋ではマイナス、東洋ではプラスのイメージ、自由な何にでもなれる境地
サイエンスの語源はラテン語の知る
対話は、異なる意見を認め合い、お互い変化するつもりで行う